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植村直己植村直己ふるさと公園植村の功績を顕彰するため、上郷地区にある頼光寺の裏山に整備された。山上には墓碑と、高さへの挑戦をイメージした塔が立っている。円山川少年時代、家畜の牛を近所の円山川に連れて行くのが日課だった。植村直己冒険館ゆかりのスポット気多神社生家の近くにあり、子どものころによく遊んだ神社。植村が消息を絶った際には、同級生が無事を祈ってお百度参りをしたという。植村が残した「知恵と技術」「人と心」を伝える拠点として、豊岡市日高町に平成6(1994)年にオープン。冒険で愛用した装備品などの展示や記録映像で功績を紹介している。問植村直己冒険館40796(44)1515 60796(44)1514http://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/高校3年生の時の植村(左端)。豊岡市内にある玄武洞を訪れた際に撮影したもの。世界各地の旅先から故郷に暮らす家族に宛てて送った絵はがき。植村直己冒険館に展示されている。自然を身近に感じられ、友人もできるだろランの単独登頂に2回目のアタックで成功「人懐っこい笑顔で世界中どこでも愛されし続けた冒険者精神と共に残されている。ら受験勉強をし、19歳で明治大学に入学。プスの氷河を目に収めようと挑んだモンブめて単独の犬ぞり行で北極点に到達した。故郷の各地の施設に、ひたむきに夢を追求て程なく、転勤により上京する。働きなが族を説得して日本を飛び出す。41年、アルキロを犬ぞりで走り抜き、53年には世界で初じ志を持つ冒険者をたたえる賞に、そして高校を卒業し、地元の運送会社に就職し一の夢となり、大学を卒業後、猛反対の家自然の中で遊んで育った。思いは就職先が決まらない植村にとって唯の知恵や技術を習得。経験を積むために年、約1年5カ月をかけて北極圏1万2千51植村の名はグリーンランドの山に、彼と同絶える。それから27年。今も語り継がれる営んでいた家の仕事を手伝う合間に但馬の来、胸に芽生えた「氷河を見たい」というとの共同生活を送り、極地で生活するためンリー冬期単独登頂に成功直後に交信が途ど目立たない存在だった少年時代、農業を仲間からアラスカでの体験談を聞いて以て、グリーンランド最北端の村でイヌイットため米国に滞在中の59年、世界初のマッキが和「よ16(く1941)覚えていな年いに」生とま口れをたそ。ろ同え級る生ほらを備えていった。新たな冒険を決意する。その足掛かりとしもう一つの夢である野外学校の開校準備の年時にはサブリーダーを務めるまでの実力リーの頂上で、植村は南極大陸横断というたつが、フォークランド紛争の影響で断念。沿いに広がる静かな農村で、植村直己は昭や富士山登山などで体力づくりに励み、4前人未到の快挙を成し遂げたマッキン陸3千キロの単独犬ぞり行に挑むため日本を現在の豊岡市日高町上郷。雄大な円山川なかった。劣等感を抱きつつもランニング長く濃密な準備期間を経て57年、南極大トレーニングに全く付いていくことができタイルでした」最世高界峰初を!極5め大る陸全てのいた。だが、登山経験のない植村は厳しいなく、遠回りしてでもかなえるのが彼のスうという軽い気持ちから山岳部の門をたた氷垂に直覆かわられ水た平極の地世を界冒へ険ら一歩を踏み出す。大きな夢を諦めること者となった。できることを積み重ね、周到に準備してかリー単独登頂で世界初の5大陸最高峰登頂直己冒険館の館長、小谷士郎さんだ。「今挑み続けた世界的冒険家人として初めて立ち、3カ月後のマッキンできたのだと思います」と話すのは、植村し、その後も大陸最高峰を次々に制覇。年には世界最高峰、エベレストの頂に日本45れ、順応したからこそ、数々の偉業を達成夢を追い掛け未知の領域へた植村さんは、現地の文化を丸ごと受け入29