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gokoku2011natsu

1941- 84※プロフィール昭和16(1 9 4 1)年34(1959)年35(1960)年39(1 9 6 4)年41(1966)年43(1968)年45(1 9 7 0)年51(1 9 7 6)年58(1983)年59(1 9 8 4)年城崎郡国府村(現豊岡市)で誕生県立豊岡高校を卒業後、地元の運送会社に入社し東京に転勤する明治大学農学部入学と同時に山岳部に入る大学を卒業後、横浜港から米国へ。強制国外退去命令を受けてフランスに渡る。モンブラン登頂を試みるがクレバスに落ちて失敗に終わる7月、ヨーロッパ最高峰モンブラン(4,807メートル)に、10月、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5,895メートル)に単独登頂南米大陸最高峰のアコンカグア(6,960メートル)に単独登頂アマゾン川約6,000キロをいかだで下る5月、松浦輝夫と共に日本人として初めて世界最高峰エベレスト(8,848メートル)を制覇。8月には北米大陸最高峰のマッキンリー(6,194メートル)を踏破し、世界初の5大陸最高峰登頂者となる単独犬ぞり行で北極圏1万2,000キロを走破。2年後には世界初の単独犬ぞり行で北極点に到達1年間の南極越冬生活を終え帰国野外学校の開校準備のため米国ミネソタへ世界初のマッキンリー冬期単独登頂に成功後、消息を絶つ国民栄誉賞を受賞己の装北冒知備極険恵品で館がののに詰数犬展ま々ぞ示っにりさてはい行れる、イでて。ヌ愛い植イ用る村ッし。直トたと輝のい夫植45年うに村逸、エ譲がベ話ろ、レがう快ス残挙トっとののて立瞬頂いち間上る止をで。ま。っ松先た浦頭?著書「北極点グリーンランド単独行」(文春文庫)より結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。あきらめないこと、どんな事態に直面してもあきらめないこと。植村直己?冒険家※の写真は文藝春秋提供※28