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gokoku2011aki

1889-1964明治22(1889)年大正プロフィール28(1 8 9 5)年34(1 9 0 1)年36(1903)年37(1 9 0 4)年42(1909)年45(1912)年2(1 9 1 3)年9(1 9 2 0)年昭和33(1958)年38(1963)年39(1 9 6 4)年6月23日、揖西郡龍野町(現たつの市)で誕生すさむ2月に両親が離婚、祖父の三木制の家で暮らし始める俳句「赤蜻蛉とまってゐるよ竿の先」を作る4月、県立龍野中学校(現龍野高校)に首席で入学詩歌や俳句の投稿が活発になる岡山の閑谷黌(閑谷学校の後身)に転校するが、翌年中退。詩集「夏姫」を自費出版した後、上京する代表作となる「廃園」を刊行この年の前後に早稲田大学と慶應義塾大学で学ぶ北原白秋と詩集「勿忘草」を刊行。明治末期から大正にかけて多数の詩集を刊行し、白秋と詩壇の双璧と称され"白露時代"を築く「廃園」に感銘を受けたドイツ留学中の山田耕筰から手紙が届き、交友が始まる北海道のトラピスト修道院に講師として赴任翌年に「赤とんぼ」を作る龍野市初の名誉市民の称号を受ける紫綬褒章を受章12月21日に不慮の事故に遭遇、29日に逝去?著書「我が歩める道」より尚且つ思索に耽ふらけしめたのは、故郷の山川である。私に詩思を与へ、私の少年時代にして三木露風?詩人ど館露もで風見はがら眼愛れ鏡用るやし。懐て中い時た計机、。筆霞な城は体筆霞素をな城朴書露館なき風に味分はあわけ作るい品のた自の字。「筆雰だ赤の囲。と歌ん気詩ぼで。」字達28